こんにちは
みちこです
今日は久しぶりの晴天で
冬の布団を干すなどの冬支度をしてます
昨日、クンダリニー開発の行法をやりました
おかげで神経が整って頭がクリアになったのでブログを書く気力も湧いてきました
行法をやるときエッセンシャルオイルを使うと抜群に効果が上がりますね
今日は、自身の人生の中で一番苦しかった経験と、その克服してきた過程を、仏教用語を少し交えながら書いてみたいと思います。
この地球に生まれたときから苦しいのですが、、、
一切皆苦
by釈尊
と、言われてます
一切皆苦を受け入れる、これが出発点だと思ってます
「この世の全ては苦しみ」
「人生は自分の思い通りにはならない」
すごい悲観的に見えますが、
一切皆苦の「苦」を理解すると、人生を楽に生きていくための教えだと分かります
一切皆苦の「苦」は、煩悩のことで、その中でも絶対に克服したほうが良いのが、生命力を蝕んでいく「三毒」の、貪、瞋、癡 の三悪道です。
まさに私は、コレでした。
もちろん、人界、菩薩の心もありますが、、、
貪(とん):貪欲 必要以上に求める心 欲や貪り
瞋(じん):瞋恚 怒りの心 憎しみ
癡(ち):愚痴 真理に対する無知の心 愚かさ
「苦」である煩悩の心を浄化し転換して善の心に変えていくことを
煩悩即菩提(ぼんのう そく ぼだい)
といいます
ネガティブな煩悩から出る「苦」が生活上に目に見える形で現象化していく人生の様々な苦しみ、、、
その人生の物理的な苦しみをも浄化して豊かに転換していくことを
生死即涅槃(しょうじ そく ねはん)といいます
自分の心、肉眼では見えない内面的なところが変わっていけば、物理的な肉体やらが変わる
色心不二(しきしん ふに)
自分の心が変われば、苦でしかなかった対人、環境が変わる
依正不二(えしょう ふに)
「依」は 外の環境
「正」は 自分
心を変えると言っても、頭の中で変えようとしても、実際に私には無理でした
白鳥先生が教えてくれる、目には見えない部分の霊体へのアプローチ、物理的な肉体行法、心の法則仏法の学びと、三つを実践していったらこの8年くらいで随分変わりました。
8年という長い時間がかかりましたが、サボったりもあり、先生の近くに住んでいたらもっと短縮できたはず、、、とか思ったりします
若くして星のたからばこに出会えた方々は幸せ者だなー!と思うし、、、
実際、善知識に出会わなければ、本来備わっている仏性、仏界も現れてこないわけで、誰に近づくかがとても大事ですね。
8年か9年前くらいに星のたからばこに出会えた自分ですが、その頃は人生最大の苦のどん底状態で
最初に鑑定して頂いたのは、地獄界所具地獄界、地獄界所具餓鬼界、餓鬼界所具修羅界と、まぁ、気持ち悪くなるほどゾロゾロとすみません
もともと素直な性格で飲み込みが早いほうだったので、直ぐに理解でき、悪いところは変えていこう!がはじまりはじまりで
元夫の子を連れて再婚したのが37歳のとき。
38歳、40歳で2人の息子を出産しました。
高齢だったのでキツかったですねー
苦のはじまりはといいますと(生まれて全て苦ですが 笑)、元夫の子の息子と(現在26歳)、今の夫が不仲になっていったのが原因でした。
その頃の私は「すべて悪いのは夫」という責任転嫁しかできない人間で、「あ〜可哀想な息子、、夫が憎い、、、」そんな醜い思いしか持てなかったのも愛着障害にあることが後々に分かったわけですが、、、
夫も愛着障害が重いほうだったので、お互いにネガティブに依存しあってましたね。
まさに再婚は茨の道で、どんだけ克服しないとならないの😭
とにかくその頃は、夫への怒りと憎しみでいっぱいで神経もメチャクチャ、毎日が生き地獄で、食事も味がしないくらい酷かったのです。
頭の中は「離婚したい、別れたい」そればかり。
離婚するといっても小さな子を連れて一人で生活を立てていくには若い頃と違って、あ、若い頃は若い頃で離婚後の母子家庭(東京にいました)本当の自立はしてなかったので壮絶人生苦がありましたが(笑)子供には「ごめんなさい」です。
そうそれで、自分が変わっていくには「一人で生活を立てていく」がミソで、なにも離婚して経済的に自立するばかりが自立じゃなくて、精神的な自立のほうが重要だったのです。それが霊格の高い物理的な自立にも繋がっていくので。
経済的に楽になりたいから(誰かに依かかる)寂しいから、世間体があるからとか、弱さや、ズルさ、虚栄心から結婚するのはオススメできない(笑)
だいたい自分と似たような霊格の人しか引き寄せないので。
離婚したいという気持ちはその先ずっと続きましたが、先生からの生の水、死の水鑑定で、生の水を増やすには「やりたいことをやりたいようにやる」ことと言われ、これもまたスンナリと腑に落ちました。
というのも、本来わたしは、自由奔放な人間で束縛と干渉が死ぬほど嫌いなんです。
にも関わらず自分の足で立とうとせず、欲求不満を夫のせいにしていました。
これ、苦の元の煩悩である「渇愛」のせいです。
だいたい愛着障害は「渇愛」です。
満たされなかった欲求ですね。
精神が成熟した大人の夫婦であれば、win winの関係にあると思うんですね。
そこが自分はまだ未熟だったのです。
餓鬼界の自己中心性があり自身の欲求を満たそう満たそうとばかりしていました。
とにかく自由になりたいと。
本来の自由をまだ知らなかったのです。
そこから色々と学んでいくうちに、「よし、自分の足でしっかり立とう、自立して夫の経済的な苦しみも助けよう!」と
(これが人界では、、、とはいえ、離婚したほうが良い場合もある)
ちょっとばかり思うようになり介護士として働き、資格も取り、一人で生活を立てれるくらいになろう、で給料アップも目指して今に至ります。
息子に対する夫への憎しみが解放されていったのは、
「過去世からの悪因縁があり解消せねばならないカルマなのだ」
「夫も愛着障害だったのだ、仕方なかったのだ、可哀想だったのだ」
「息子にも原因が多いにあった、ということは、私に責任があるんだ」
「依正不二、夫は私の影で、私をそのまま映し出している」
「夫は悪いと思っていたが、善知識だった、師匠だった、だってこんなに私を変えてくれたから」
般若心経スートラで学ぶ、智慧の眼が開くと通常の常識では考えられない思考で見るようになる。
もっとも根源的に素晴らしく解放できる瞬間は、夫の仏性と私の仏性に敬礼できたときです
もっとも、癒されるときは、私が私を慈しむとき、すべてが慈しみに変わり、自身の中から癒しのパワーがこんこんと湧きでたとき
もっとも深い苦しみの原因は、「無明」
自分にも他者にも仏界という素晴らしい生命が備わっていることを信じられないとき。
他者否定、自己否定。
ここまでお読みくださり
ありがとうございました💕
また書こうかな、、、愛着シリーズで